山の神2    


                 オコナイ 南桜 野蔵神社 女人禁制
                       神饌棚 栗東 仮想結婚 など
       

                    (山の神のオコナイ)
                       山 神 祭
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1.はじめに    古今東西を通じた人類共通の願いとはなんでしょうか。 それは五穀豊穣と子孫繁栄だろうと思います。その願いをこめて、我が日本で は「田の神・山の神」信仰が現代まで脈々として引き継がれています。田の神 は山の神の変身とも考えられていますので、山の神が最も畏敬すべき存在だろ うと思われます。(我が家でも山の神は恐れ多い存在です!)  都市部で生活している人は知らない人が多いかもしれませんが、多くの農山 村地域で山の神を祀る神事が行われています。近江の地はその風習が残ってい る代表的な地域だと言われています。  実は、私の住んでいる野洲市でも、伝統的な山の神神事が現在も続けられて います。地元の人は「山の神のオコナイ」と呼んでいるようです。(オコナイ とは「行い」の意、行事あるいは催しという意味だろうと思います)  今年(2014年)1月3日の神事を見学させていただきました。  2.場所  近江富士という名で親しまれている三上山の南側に北桜(きたざくら)、南 桜(みなみざくら)という地区があります。三上山とその東南にある菩提寺山 との間にある地域です。  三上山の南麓にあるのが北桜、その南、菩提寺山近くにあるのが南桜です。 三上山麓の北桜地区pg ←三上山麓の北桜地区   ↓両地区の間を流れる大山川  両地区の間を流れる大山川        ↓南桜地区(後方の高い山は菩提寺山)      南桜地区(後方の高い山は菩提寺山)  菩提寺山は三上山(432m)よりもやや低い山(353m)です。 かつては菩提寺山の麓には多数の寺があったのですが、信長に焼き払われたそ うです。  北桜は約50戸、南桜は約100戸の集落です。 伝説によれば、善司・権司(ぜんじ・ごんじ)という従兄弟の若者がそれぞれ 24人の子どもに恵まれ、両地区に子孫を残したそうです。そのため、両地区 の間では(仲が悪い訳ではなく)互いに縁組みを敬遠してきたそうです。 3.神社  南桜の西側、野洲川の近くに野蔵(のくら)神社があります。 延暦3年(784年)に創建されたという古い神社で、木花佐久夜姫命(この はなさくやひめのみこと)を祀っています。  この神社のお使いは猿です。そのため、かつて南桜では犬を飼わなかったそ うです。  野蔵神社の祭禮として、1月3日に山神祭があります。 今回訪ねた山の神の祭りです。野蔵神社は平地よりもわずかに高い位置にあり ます。かつて、もう少し山の奥の高い位置に山の神を祀る神社があったのです が、その神社がなくなったので野蔵神社で山神祭を催しているのだそうです。  今年(2014年)1月3日夜8時に野蔵神社を訪問しました。 神事は深夜に行われてきたそうですが、比較的近年になって少し繰り上げられ たそうです。 僅かな勾配の参道を進むと拝殿があり、その奥の本殿の横に広場がありました。   ↓参道 参道        ↓神事は正面奥の広場で      神事は正面奥の広場で  ここで、山の神のオコナイの準備がどのように進められるのかをみてみまし ょう。「野洲の年中行事」(平成3年発行)を参考にして記してみます。  準備と実行は当番制で実行されます。 毎年5組のうちのひとつの組が交代制で担当します。担当の組で中心になる人 「行人」(ぎょうにん)が2人選ばれます。行人は忌中の者はもちろん、家族 に妊娠している女性がいる場合にはなれないそうです。 ・諸材料の準備:稲藁、割木、柴などを持ち寄る。 ・御神体の準備:雄松(おまつ)の心木と二股の雌松(めまつ)で「みそ木」     という男女のシンボルを作る。みそ木を採取する人は村の人達に出会     わないように、音を発しながら神社に帰る。 ・米を集める: 米(白米)を各戸から集める。妊娠しているか産後75日以     内の女性がいる家は玄米。(各戸3合位) ・神饌棚を作る:お供えを載せる男棚(おだな)と女棚(めだな)各1基と注     連縄を作る。棚は割った竹を用いる。棚の支柱も割竹である。     (神饌棚(しんせんだな)に載せるお供えの詳細は後述) ・青竹と御幣: 竹(丸竹)の頂部に御幣を付けたもの2本と上部を四角に面     取りした竹1本。 ・ご飯と餅 : 小豆と大豆を入れて蒸した餅を作る。ご飯を炊き上げる。   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★     突然ですが ここから先は               女人禁制!! です。  ここまでお読みいただいたご婦人の方は               ここから先の閲覧はご遠慮ください。  この神事は全て男性だけで行い、女性の参加は固く禁じられているのです。  見学も不可です。今回、私は歴史教室の世話人をしている男性4人で見学させ ていただきました。女性の世話人は見学を断られました。  なぜ男性だけで神事を行うかと言えば、山の神(女性)は女性に嫉妬するか らです。特に、美人の女性は目の敵にされるでしょう。  地域によっては、醜い姿のオコゼを山の神に捧げる風習もあるようです。  オコゼ  もし、...万一...万が一にも...   ...自分はオコゼに近い...と密かに認めて  いるのでしたら 山の神の怒りは少ないかも知れま  せん。 しかし、...  オコゼは食べたら美味しいのだから...、 どの  ような結果になるのか、当サイト管理人は一切責任  を負えません。  禁制を破ったらどのような事態になるのでしょうか? もしかしたら、カフカの「変身」みたいに、「ある日目覚めると、男性に変身 していた...」というようなことが起きるかもしれません。      ・      ・      ・     もう一度申し上げます。          ここからは 女人禁制!!                  ただし          「6.栗東」の項以降は自由にご覧いただけます。             「6.栗東」まで飛ぶには               こちらをクリック                     ↓                                     s-oneway.jpg   ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 4.祈願  石段を数段上がって本殿前に出ました。 本殿脇の広場に大勢の人が集まっていました。30代から60代と思われる男 性ばかりです。   ↓焚き火を囲む人 焚き火を囲む人      ↓焚き火を囲む人(正装の人も)    焚き火を囲む人(正装の人も)    頃合いをみて参拝者が訪れます。 参拝者は各戸15歳以上の男子1名とされているようです。参拝者には行人か らご飯が振舞われます。参拝者は持参した扇子を開き、その上にご飯を載せて もらいます。私たち見学者はこの作法を知らなかったので、扇子をお借りして ご飯をいただきました。  その後参拝者を交えた儀式が行われます。 広場の中央に太い綱が張られており、参拝者は持参した藁包(わらづつみ)を 引っ掛けます。藁包は稲の籾(もみ)の形に作られているそうです。当番の人 たちは大きな声で  「米俵千石、豆俵千石、小豆俵千石、合わせて三千石、豊年じゃ豊年じゃ」 と合唱しながら綱を前後へ打ち振ります。落ちた藁包は参拝者が家へ持ち帰る ようです。  これがこの年の豊作と子孫繁栄の祈願です。           ↓藁包を掛けた綱を振る       藁包を掛けた綱を振る            ↓藁包が綱から落ちる          藁包が綱から落ちる               ↓お供えの餅などを頂く             お供えの餅などを頂く 5.神饌    順序が前後しますが、「4.祈願」の前に「神饌」が整えられます。 神様への捧げ物を神饌棚(男棚と女棚)に載せてお供えします。 神饌棚pg ←神饌棚   ↓ 神饌棚  お供えの品は「串柿、蜜柑、鯛、昆布、センジキ」などです。センジキとは 餅米とご飯を炊いたもので、柏の葉に載せます。お供え物の載せ方、例えば魚 (鯛)の向きや位置など、細かいしきたりがあるようです。(昆布はプラスチ ックの袋に入れたままでした!)  棚を作っている横に並べた割竹の数(11本?)や棚の下に立てられている 御幣の数などにも決まりごとがあるのかも知れません。         ↓お供え物の拡大写真       お供え物の拡大写真  男棚と女棚の傍に御幣を付けた青竹が立てられていますが、上部を四角に面 取りした青竹が中央に立てられています。面取りした4面には次のような祈願 の言葉が記されていました。   東 一月三日 ??(2文字)   南 ????(4文字)   西 天下和順 村中安全   北 平成二十六年 一月三日  この言葉の少し下に、筋が刻まれていました。 お米を供出してもらった家の数を記録したものなのでしょう。              ↓天下和順 村中安全           天下和順 村中安全  ちなみに、この神饌棚は来年の祭りまでこのままの状態で残されるそうです。 そこで、3週間近く経った1月末に再び野蔵神社を訪ねてみました。   ↓残された神饌棚 残された神饌棚   串柿、蜜柑、鯛、昆布 は見当たりま  せんでした。センジキは数個の固まりが  残っていました。   山の神が賞味されたのでしょうか。  山に住む動物達に山の神が分け与えたの  かも知れません。   横に並べた割竹は、向かって右は青い  皮が上に、左は白い内側が上に固定され  ていました。    棚は向かって右が少し高くなっていま  した。左が雌棚、右が雄棚でしょうか。  ところで、肝心の御神体は神饌棚から離れた場所に据えられていました。 御神体は藁で覆われ、縄が巻かれていました。裸体を露出させないように衣を 着せてあげたのでしょうか。御神体には酒、大きな餅、米、がお供えしてあり ました。 御神体とお供えpg ←御神体とお供え     ↓   御神体とお供え 6.栗東   忠告通り夜中の神事を見ることなく、このページを訪れてくださったご婦人 にお礼を申し上げます。ここからはまた文と写真を自由にご覧ください。  さて、野洲市の西南に栗東市があります。 競馬好きの方なら、競走馬のトレーニングセンターがある場所としてご存じか と思います。栗東市にも山の神を祀る風習が残っていますので、少しご紹介さ せていただきます。  トレセン(トレーニングセンター)の近くに栗東歴史民俗博物館があります。 博物館の扉を開けると、正面奥の館外に高さ5メートル以上もある大きな磨崖 仏が立っています。栗東市の山中にある 狛坂磨崖仏 のレプリカです。  この博物館では山の神神事が常設展示されています。 上砥山と六地蔵という地区の祭りの様子で、26年前(昭和63年:1988 年頃)に記録したものです。 ←上砥山地区のお供え    ↓狛坂磨崖仏(レプリカ)  狛坂磨崖仏(レプリカ)  上砥山では、当番の4人の男性が7日間に及ぶ精進生活をして準備を行い、 女性の顔を描いた御神木を若い娘と見立てて祝言をあげ、嫁入りさせています。 六地蔵では子ども達が主役となって行事を進めています。  これらの様子はビデオで放映されています。 六地蔵地区の神饌棚pg ←六地蔵地区の神饌棚  ↓仮想の嫁入り(ビデオ) 仮想の嫁入り(ビデオ)  現在も当時と同じように祭りが行われているのでしょうか。 学芸員さんに尋ねてみると、少し簡略化されてきているかも知れない、という ことでした。 7.おわりに  なぜ女人禁制として男だけで神事を行うのか、女性としては若干疑問視され る方もおられるかと思います。少し補足説明をさせていただきますと、野蔵神 社に集合した男性たちは、酒を酌み交わしてくだを巻くわけでもなく、伝統的 な作法に従って五穀豊穣と子孫繁栄を祈願するオコナイを粛々と進めていまし た。男だけで開放感に浸ろうというようなやましい気持ちはうかがえません。  それは、ひとえに女性を敬う気持ちの発露なのです、と私個人は捉えていま す。なぜなら、子孫を残すという最大の役割を果たしてくれる女性を、男性は あまり言葉としては言わないとしても、心の奥で感謝し、(恐れながらも)敬 っているからです。この神事が始まった頃の男性も、現代の男性も、そのよう な気持ちが少なからずあるだろうと思います。  山の神神事を見学させていただいてから、その様子をインターネット上に掲 載してよいものかどうか迷いました。南桜の人たちは、自分たちの祖先が伝え てきた伝統の行事を次の世代に継承することを愚直に守っておられます。この 神事を守っている人たちを突き動かしているのは、売名的でも商業的でもない ことは明らかです。正直なところ、煩わしいと感じている人もいるでしょうが、 自分たちがこの世に生かされている事への感謝の気持ちが、無意識にしろ、根 底にあるのではないでしょうか。  現代人的な感覚として、古い伝統行事を疑問視する人が多いかも知れません。 伝統行事が失われつつある時代に、現在の活動を記録し、紹介しておくことが 伝統文化の保存に少しでもお役に立てればと思い、見学させていただいたこと への感謝の気持ちをこめてこの記事を書かせていただきました。                    (散策:2014年1月3日                     脱稿:2014年11月26日)    ご参考:   ■ 既報の関連記事    ・山の神  −−−− 野洲市辻町の山の神   ■ 参考図書    ・野洲の年中行事  編集・銅鐸博物館 発行・平成3年3月29日    ・常設展示図録   編集・銅鐸博物館 発行・昭和63年11月1日 ------------------------------------------------------------------       この稿のトップへ  報告書メニューへ  トップページへ